今日の学び:辛いときは辛いと言う
このブログは日記だ。僕の日記だ。
だから、毎日見たこと、感じたこと、思ったことを書いている。
これは何度も書いているけれど、僕は身体を壊している。メンタルに問題を抱えている。
そんな人は多分すごくたくさんいて、僕よりも長く苦しんでいる大先輩もいると思う。
昨日、友人からとても嬉しいことを言ってもらった。
そしてその直後に、僕はとても酷いことをその友人に言ってしまった。
とても大事な友人で、大好きな友人だった。いつも僕に優しくしてくれて、体調を気遣ってくれていた。そんな人に酷いことをしてしまった。
それは確か、午前3時頃だったと思う。その後、友人に謝罪の連絡をし、僕はそのままベッドに入った。友人からの返信はなかった。
最近は睡眠導入剤を飲んでもあまり眠れなくなっている。だから、そろそろ違うものを処方してもらえないか、次回通院時に相談しようと思っていた。
その日も僕は睡眠導入剤を飲んで寝た。きっと深夜3時半頃だったと思う。
そして翌朝、目が覚めた。時計を見ると午前6時半だった。
太陽が眩しかった。空は雲ひとつなく晴れていた。
自分は昨日、とても嬉しいことを言ってもらえた。だから、自分はいま人生で一番幸せな瞬間なんだと思った。
自分は昨日、とても酷いことを言ってしまった。だから、自分はこれからドン底に落ちるんだろうなと思った。
それなら、そういうことなら、いまが一番幸せなら、いま死ぬことができれば幸せな思いを胸に死ぬことができるのではないかと思った。人生最高の瞬間に死ねる気がした。
僕はまず、部屋を片付けた。
洗濯物を畳んで、食器を洗い、小物類は所定の場所に戻した。足元に落ちているゴミは綺麗に片付けた。ソファーにはコロコロをかけて、フローリングには掃除機をかけた。机も綺麗に拭いた。
次に僕は、自分が死んだあとに探す必要があるであろう書類をまとめた。
大した書類ではないけれど、自身が身体を壊していることを証明する書類をテーブルに置いた。雇用契約書をテーブルに置いた。お薬手帳をテーブルに置いた。住宅の契約書をテーブルに置いた。
小物類も片付けて、部屋の中が綺麗になって、とても清々しかった。
そして、ダンボールを束ねる際に使うビニール紐を引き出しから出した。しっかりしたビニール紐で、これならきっと、僕の体重を支えられるだろうと思った。
ビニール紐をどうやって結ぼうか悩みつつ、首を吊る前にやることを考えた。吊る直前に110番はしておきべきだろうと思った。死体は早く見つけられるべきだろうと思った。
遺書は特に必要ないだろうと思った。いま僕が死ぬことに特に理由はないから必要ないだろうと思った。
翌々週に遊びに行く約束をしていた友人の顔を思い出した。彼には申し訳ないなと思った。
気がつくと朝の7時だ。多くの人が活動を始めるより前に、とっとと死のうと思っていた。
そうしてやることを洗い出してビニール紐を結ぼうとしたとき、僕の携帯が鳴った。LINEが来ていた。
それは昨夜、深夜にふと思いついた、何の気なしに適当に考えたおもしろネタを送った友人からの返信だった。
「ごめん、寝とったわw」
その瞬間、僕は『生きたい』と思った。
一瞬前まで『さぁ死ぬぞ』と思っていたのに『生きたい』と思った。
「やばい」
「どした?」
「死ぬ準備してた。電話いけるかな」
「電話してこい」
僕はすぐに彼に電話をした。僕はずっと泣いていた。彼は多分、僕が何を言ってるか分からなかっただろうと思う。
「すぐにそっちに行く」と彼は言ってくれた。けどその前に、話を聞いて欲しかった。
僕が昨日、友人からとても嬉しいことを言われたことを聞いて欲しかった。
そしてその直後に、僕はとても酷いことを友人に言ったことを聞いて欲しかった。
泣きながら、20分程度話していた。そして、一旦落ち着いた。
電話の最中に、また別の友人からも電話があった。彼と話して、その人へ折り返すことにし、その電話の最中に彼は僕の家に向かってくれた。
彼は、道中で、僕と仲の良い友人を他にも数人呼んでくれた。
そうして気がつくと朝の8時だ。祝日の、ゴールデンウィークの、5月5日の、こどもの日の、みんなもっと寝ていたいであろう時間だ。
彼が僕の家に来たあと、一緒にコンビニへ行って、お茶を買って、他の友人も合流して、僕の家で他愛もない話をした。そうして、僕は『生きたい』と思っていることを感じた。
僕は結局、自分から「助けて」と言えなかった。
けれど、本当に、もう10分もあれば僕が首を吊るそのタイミングで、彼は偶然連絡をくれた。本当の本当に偶然だ。
彼は休みなのに、今日たまたま早起きして、深夜に送られてきた僕のしょうもないネタに反応してくれただけだった。
けれど、僕はその返信を見た瞬間に『生きたい』と思った。
あぁ、そうだった。死にたくなんかなかった。幸せになりたかった。もっとたくさん楽しいことを経験したかった。
彼に「助けて」とは言えなかった。でも、彼に「やばい」とは言えた。
これは僕だけが感じていることかもしれない。僕は「やばい」という事実を伝えた。もしかしたら「助けて」と同義だったのかもしれない。
けれど、僕は「助けて」とは言えなかった。「やばい」と言った。
僕は人を頼るのが下手だ。だから、身体を壊すまで働いてしまったのかもしれない。
あのとき、僕は本当に「やばい」状態だった。
その後も代わる代わる友人が家にやってきて、他愛もない話をした。そして『生きたい』ことをどんどん自覚していった。僕の友人はみんな良い奴だった。
だから、いまもこうしてブログの更新ができている。今日も日記を書けている。
昨日、酷いことを言ってしまった友人からは、昼前ごろに連絡がきた。遅くまで起きていたから、きっとたくさん寝ていたんだと思う。そりゃ午前3時まで起きてりゃ昼まで寝ますね。
友人は僕の言った酷いことについて、全然気にしていなかった。むしろ、感謝された。
自分を心配して言ってくれたことなんだから、君は何の酷いこともしていない、感謝しているよと言われた。
僕の友人はみんな素晴らしい人たちだった。
僕がほんの少し気を遣い過ぎているだけだった。
大変なときには頼れば良かった。「助けて」と言えなくても「やばい」と言えるだけで良かった。
幸い、僕は命を絶つことはなかった。
ほんの10分、彼からの連絡が遅かったらきっと今、僕はもういなかっただろう。
僕は友人に恵まれている。
もしかしたら、この記事を読んでいるあなたも友人に恵まれているかもしれない。
もしかしたら、この記事を読んでいるあなたは、僕のことを羨ましく感じるかもしれない。
本当に申し訳ない。あなたが友人に恵まれていなくても、僕にはどうすることもできない。
けれど、もしかしたら、あなたが気づいていないだけで、あなたのことを気にかけている人がいるかもしれない。
「やばい」「きつい」と、そう言ってもらえることを待っている人がいるかもしれない。
それは希望だし、絶望でもある。
「やばい」と言ったとき、誰も現れないかもしれない。逆に、思いもよらない誰かが現れるかもしれない。
一言だけで良いから、言ってみて欲しい。「やばい」「きつい」なんでも良い。あなたの状態を一言だけでも良いから言ってみて欲しい。死を選ぶ前に言ってみて欲しい。
もし仮に、発信する場や相手がいないのであれば、いのちの電話をかけてみても良いのかもしれない。それはきっと、あなたの困ったことに対して、何の解決にもならないだろうと思う。
けど、けれど、『さぁ死ぬぞ』と思ったその気持ちが、もしかしたら『生きたい』に変わるかもしれない。僕のように『生きたい』に突然切り替わることがあるかもしれない。
『さぁ死ぬぞ』と思ったらその前に、『生きたい』と思える何かが起こることを、僕は願っている。今日起こったことは、もしかすると万に一つの奇跡だったのかもしれない。
けれど、僕は、この記事を読んだあなたが『生きたい』と思ってくれれば嬉しい。
僕の日記を読んで『生きたい』ことに気がついてくれれば、嬉しい。